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MISTY CASTLE -はるひら作 S / S / S-

" S / S / S "
――The wave rider go and back.





「はっきりしてくれよ」
「嫌よ。それより、日焼け止め塗ってよ。私、焼けるの好きじゃないの。シミになっちゃうのよ。だからお願い、早く塗って」

 そう言って彼女はパラソルの下、ビニールシートを敷いた砂浜の上で横になる。
 ――――燦々と降り注ぐ太陽は八月になってさらにその勢いを増した。俺と彼女は近くの海水浴スポットに訪れ、二人意気揚揚とデートを楽しむ予定だったが、それにしてはそこは混みすぎていた。
 無理もない。日曜の昼の十二時過ぎ。ビーチは満員電車と見間違うほどに人で溢れていた。この暑さはこれほど人がいるせいだと勘違いしてしまう程だ。
 それはもはやマイカーが当たり前になった交通事情にも現れていた。来る途中の有料駐車場はどこもかしこも満杯で、有料に並んでまで入るのが馬鹿らしく、俺は海水浴場から少し離れた場所に路上駐車した。無論違法だが、それでもあちらこちらに自分と同じような考えを持つ人が見られ、苦笑したものだ。

「ちょっとぉ?」
「え、ああ。悪い悪い、今塗るよ。背中でいいんだな?」
「ビキニは外して、ね。水着の痕が残るのって嫌なの」

 彼女は背中に手を回して、ビキニの紐を緩めた。横から軽く押さえているため、胸元は見えないが、それでも妙に緊張してしまった。
 UVカットと書いた容器から、手のひらに適度の液を出し、それを彼女の背中に塗った。

「ちょ、つめたっ」
「仕方ないだろ。我慢しろ、我慢」
「少し手のひらに馴染ませて人肌で温めようとか思わないの?」
「冬の草鞋じゃないんだから……」

 彼女の背中に日焼け止めを塗り終わると、彼女はビキニの紐を結びなおし、すぐさま俺の手から日焼け止めを奪って残りの部位に塗り始めた。
 持ってきたビーチパラソルは隣のパラソルとぶつかりそうなほど隣接し、人ごみとパラソルで埋め尽くされた砂浜は、歩くスペースさえままならない。子供達はしっかり両親の手を握り、面白いほどに人が浮いている海へと駆け込んでいく。
 彼女は塗り終わった薬品をバッグへとしまい、サングラスを掛けてそのまま横になった。

「泳ぎに行かないのか?」
「子供じゃないんだから、そんなに慌てないの。こうやって海に来たって気分をまず味わってからじゃないと、海に行くテンションなんかにならないわよ」

 そういう彼女だが、ここまで来る車の中ではこれまでにないハイテンションではしゃぎっぱなしだった。ハンドルを持つ俺の腕に絡み付いてくる程の様子にそれは窺えた。恐らくいち早く海に飛び込みたいのは彼女自身だろう。

「それより、あれやっといてよ」
「……あれって何だよ?」
「馬鹿、海に入る前にビーチですることがあるでしょ」

 どうやら彼女は海に入るのにそれを待ってるらしかった。早くしなさいと視線で俺を急かすが、結局なんだか分からない。
 彼女の特徴というか悪い癖だ。別段口で伝えればいいのに、無理に暗語でぼかし、相手に理解を求めることがある。
 それとなく前にどうしてか理由を聞いたことがあるが、何でも相手に命令するのではなく察して欲しいかららしいが、すでに命令口調なのだから大差はあるまいと思う。

「あ、もしかして準備運動?」
「何でそうなるのっ。……ああもうっ、浮き輪膨らますことに決まってるじゃない!」

 別に決まってもいないと思うが、と呟いたのが聞こえたのか、思いっきり背中をびちっと叩かれ怒鳴られた。
 俺はバッグからつぶれたビニールの塊を見つけると、それを口で膨らませ始めた。ふと、隣の親子連れと目が合う。隣の父親も同様に子供の浮き輪らしきものを膨らませていたが、こちらは用意周到で足で空気を送り出すあの道具を持ってきていた。なんだか父親の目が勝ち誇ったようでムカつき、俺は視線をずらした。

「終わった?」
「ああ、終わったよ。もう海行くか?」

 もちろんよと、風船を膨らませた後に来る耳の下特有の痛みを堪えながら、俺は浮き輪を持って走り出した彼女の後を黙って付いて行った。

 砂は異様に熱く、それだけで火傷したような感覚になる。そのギャップでか、膝下まで浸かった海はとても気持ちよかった。
 彼女は慣らすという言葉を知らないように、人を掻き分けるようにどんどん沖の方へ進む。彼女は泳ぎが得意だし、一人戻れない沖まで行くような頭の悪い女でもないと知っているので、特に心配はしなかった。

 彼女は一番混んでいる帯を超え、足の付かない、人が疎らなところまで行っていた。特徴的な茶色みがかったショートの髪と、くりくりと大きい目が此方を向き、彼女は大きく手を振っていた。俺はある程度まで近づいたら、潜って彼女の近くまで一気に距離を詰めた。
 ここまで来ると水はやけに冷たく、長居できそうにはなかった。

「ここ、ちょい寒くない?」
「人ごみで団子になるよりはいいでしょ」

 そりゃ確かにと俺も同意する。さらに十メートル沖には、これ以上先は危険と区切る黄色い大きなボールが浮いている。
 試しにここがどれぐらい深いか潜って確かめようとしたが、三メートルも潜ると視界は真っ暗になるので、諦めて浮上した。

「深いなぁ……」
「そう? ここの海水浴場なだらかだから、まだ五メートルもないはずだけど」
「それでも十分深いよ」

 その後深い海は好きかとか、今度ダイビングでもしようかという話をし、海に漂う時間は不思議なほど早く過ぎて行った。
 時々浅瀬に戻ったりももちろんしたが、結局は手が酷くふやけるまで海に長くいた。三時を過ぎると急速に客足は少なくなり、四時を過ぎたら最初の三分の一以下までに減っていた。太陽も疲れたようにその光を弱め、太陽と海の温度拮抗が崩れ、徐々に海にいるという寒さが勝ち始めていた。
 俺はそれとなくそろそろ引き上げるかみたいな事を彼女に言うと、そうねと軽く頷いて俺たちは砂浜へと引き上げて行った。

「ああー、今日は満足。これで今年もう海はいいかも」
「そう言っても明日にはまた海に行きたいって言うんだろ?」

 苦笑する俺を窘める様に軽く叩くと、彼女は着替えてくると更衣室に向かった。どういう訳かこの海水浴場には男性用の更衣室はなく、俺は仕方なしに人目を盗んで、バスタオルを腰に巻いて隠し、彼女が帰ってくるまでに着替えておいた。

 それを聞いた彼女は男って楽ねと不満げに呟いた。俺はそんな彼女の顔が妙に可愛らしくて、軽く頬にキスをした。

「きゃ、いきなり何よ」
「いや、ただなんとなく。いいだろ、恋人同士なんだし。キスぐらい」
「じゃなくてこういうのは雰囲気でしょ。なんで貴方はいつもそう唐突なのよ。ロマンはないわけ?」

 彼女は少し本気で怒っていた。……よせばいいのに、俺はむっとなって少し語調を強めてそれに応対してしまった。

「そういうお前がいつもわざと雰囲気を作らせようとしないんだろっ!」
「――――っ」

 ――――そう。彼女はいつもそうだった。
 いつも本気で愛を語り合うような雰囲気を避けている。俺が頑張ってそういう状況を作っても、軽く流されてしまっていた。
 最初は堅苦しい雰囲気がただ苦手なだけかと思っていた。
 でも、違った。苦手なんじゃない。ただ避けている。わざとそこから逃げている。

「……キスぐらいで怒ってごめんなさい。だからもうこの話は――――」
「こっちを向いてくれ。俺は、真剣だ」

 さっきのようにはいかまいと、俺は彼女を真摯に見つめなおす。
 ――――正直もう、冗談や軽い受け流しはごめんだった。焦っていた訳じゃない、ただ何となくこのまま惰性の関係が続くのが嫌だった。

「………………」彼女は静かにこちらに身体を向けるが、顔はまだ下を向いていた。
「俺はお前の事好きだ。結婚だって考えている。お前は、俺のこと嫌いか?」
「――――好き、よ」
「俺との付き合いは、遊びか?」
「――――そんなわけ、ないじゃない」
「俺はさ、別に今すぐ結婚しようとかそういうことは言ってないんだ。別に恋人のままがいいならそれでもいい。ゆっくりでもその先に行けるならそれでいいって。
 ……でも、お前逃げてるじゃないか。それ以上先に行こうとするの、避けてるじゃないか。どうしてだ? 俺となんかとじゃ、真剣な愛なんて考えられないのか?」

 言葉が止まらない。彼女が萎縮するまで言い続けてしまう。
 彼女を悲しませるだけなのに。そんなことしても誰も得しないのに、それでもその先に行きたいという気持ちから、言い続けてしまう。

「ね、もう日、暮れるよ?」

 彼女の言うとおり、いつの間にか日は赤みを帯びてきた。後一時間もしないうちに辺りは暗くなるだろう。明日は平日なためか人々の帰りは早く、五時を回って間もないこの時刻でも、辺りは寂れたデパートのように静まり返っていた。

「逃げるなよ。時間ならたっぷりあるぞ」
「どうしたの? 今日の貴方おかしいよ」
「おかしいのはどっちだよっ! 何でいつもそうやって逃げるんだよ? 俺はお前が好きだ。愛してる。本気だぞ。何度だって言える」

 予想通り、彼女は顔を顰めた。
 彼女はいつも、愛してると言われる度に困った顔をする。嫌いかと聞くと、違うと返って来る。好きかと聞くと、そうだと返って来る。でも、俺が愛してるというと彼女はいつも複雑な表情をする。

「俺はお前を愛してる。お前も俺が好きなんだろ? じゃあ何で俺とお前が愛し合うのに、お前がそういう顔をする必要があるんだよ……」
「……別に私、そういうつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりだよ。俺が愛してるって言う度に、お前いつもそういう顔するよな。
 俺がお前を愛することが、お前にとって苦痛でしかないなら、そりゃ別れるしかないだろ。別れてって言われれば悔しいけど、引き下がるよ。でも、お前は俺を好きだって言う。彼氏と彼女の関係でいいって言う。
 なんなんだよっ。俺には、俺には何がなんだか分からないよ……くそっ!」
「違うの、貴方は別に悪くないの。私が、私がただ勝手に戸惑ってるだけ」

 彼女はこの前のデートで買ったばかりの白のTシャツをギュッと握る。沈んだその目はどことなく潤んでいて、今にも涙が零れ落ちそうだった。俺は彼女の肩をがっちり掴み、真正面に彼女を見据えた。

「俺に悪いところあったか? 彼氏として失格なことあったか? 言ってくれ、何だって直すよ。俺はお前のことが好きだし、嫌われたくない。お前に、愛されたいんだ」

 彼女はその、お前に愛されたいんだという言葉に動揺した。目に溜まったそれが、自然とポロポロとこぼれた。
 それが切欠で彼女の口を縛っていた糸が切れた。彼女は俺の腕を引き剥がして、自分の肩を抱いて叫んだ。

「じゃあ貴方は私の何がいいの――――っ!?」急なその叫び声に俺はビクッとした。
「何って……」
「ねぇ、私の何がいいの? 生まれも育ちも二流。顔だって貴方ようなモデル顔に釣り合うほど美人じゃない。性格だってこんなに捩じれてるっ! こんな二流女になんで一流の貴方が構うのよ、私は――っ!」

 最後の方は涙声になった枯れて、良く聞こえない。彼女はただ泣きながらに叫ぶ。そうして持ち合わせていた不安を全部ここで吐き出すように。

「私は疑問だった……。貴方のようなもてもて君が何で私なんかに構うのか。だから不安だったのよ。どうせ遊びなんでしょ? って」

 違う。俺はこの恋が始まった時から、真剣勝負だった。恋は娯楽の一種だけど、それを遊びだと思ったことはない。刺激が欲しいとか、そんな安い恋愛を求めた覚えはない。ただ――

「ただ、俺は、お前に愛されたかっただけなんだ。嘘じゃない。ずっと、そう思ってた」

 純粋に愛されたいという感情。それが何か罪なのか。それがいけないことなのか。
 身分違いの恋でもない。禁断の恋でさえない。ただの男と女。愛し愛され、その求め合うのが罪だと言うのなら、俺は罪人でもいい。

「ええ、知ってる。だから逆に怖かったっ。本気だと感じるほど、本気で応えたくなって。本気で応えるほど、裏切られたときに痛いの知ってたから、私……」
「俺は裏切らない、絶対だ」

 彼女の言葉を遮るように、俺は言葉を繋げる。しかし彼女はその涙顔に少し自傷した笑みを浮かべた。

「貴方っていつもそうね。いつも真剣に、真っ直ぐ、私を見つめてくれる。私に愛も、優しさも、何でもくれた。いつだって、私を満足させてくれる最高の彼氏。大学の友達にも、姉にでさえ自慢だった。
 ……でも知ってた? 女ってそうやって、与えられているだけじゃすごく不安になるの」

 こんなの酷い言い訳だけどね、と彼女はもう一筋流れた涙を隠すため、夕焼けの海の方へ向いてしまう。皮肉にも俺にはその茜色の横顔が、今までのどの彼女よりも美しいと思った。

「人が他人に何かを与えるのって簡単なの。押し付ければいいんだもん」
「――――俺の愛は、迷惑だったのか?」
「ううん、違う。私は嫌いなものは嫌いって言うタイプだって知ってるでしょ。……うん、正直に言う。その愛はすごく嬉しかった。いつもいつも、私は貴方の愛を感じてた。それは幸せだったわよ」

 でもそれが彼女を苦しめていたのは事実だった。今流れている涙がそれを証明している。例え彼女が幸せだったのだろうと、結果苦しめていたのなら、俺はたぶん間違っていたんだろう。

「ごめん、俺……」
「だから違うの。謝らないで。貴方は何も悪くない。
 私はね、嬉しかったの。でも、こんな捻くれてるからそれを素直に受け止められないの。貰って嬉しいものを受け取っても、素直に喜べないの。貰っても戸惑って、不安になるの。どうしてだか、分かる?」

 彼女が落とす涙が乾ききった砂へと染み込む。それを全てすくい上げられると思っていたのに、今はそれができない。
 彼女を悲しませないためには何だってした。彼女を喜ばせるためだったら何でもした。彼女を幸せにするためだったら、これから先もどんなことだって出来る自信がある。ただの思い上がりや傲慢じゃなくて、真剣にそう思えたから、これが彼女を愛する気持ちなんだと知っていた。

 なのに。それなのに、彼女は泣いた。俺が愛したという事実が彼女を泣かせた。
 愛が一つのカタチじゃないし、相手を完全に理解することが無理だってことぐらい知ってる。相手の気持ちを全部知り、それでいて相手を思いやれるなんて完璧で夢のような恋愛があるなんて、もう思ってない。でも、それでも彼女のことは何だって分かる自信があった。
 でも、今は分からない。どうして彼女が泣くのかが、分からない。それはきっと、分からないという領域があるのを知ってしまったからだろうと思う。
 情けない。彼女のことが分からないと、急に自信がなくなって、何も言えなくなってしまう。

「どうして――――」精一杯、振り絞った声がこれだった。

「だってね、返すものがないもの。貴方の純粋な想いに応えられるだけのものを持ってないもの。返したくたって、返せない。だからいつも不安になるの。
 友達に奢られるときと同じよ。相手は善意で奢ってくれるんだけど、次は私が奢らなきゃと思うと不安になる。それが積み重なるなら、なお更」

 やっぱり――、俺の愛が彼女を苦しめていた。それが真実だった。
 たぶん、恋愛というのは常にそういうものなのだ。自己の押し付け合い。エゴというものの与え合い。この大海の波のように、時には弱く、時には津波のように大きくそれを相手に押し付ける。サーファーは波が大きいほど楽しい。大きなエゴを受け入れるほど相手と通じ合える。
 でも、波は時として人を飲み込む。大きすぎる自分勝手は相手を飲み込んでしまう。だからその駆け引きが恋では難しい。

「与えられてるだけじゃ、私はいつか不安でつぶれてしまう。それが分かってから、与えられるのを拒んだ。結婚とか約束された将来みたいなそんな幸せの世界を貰ったら、もう私の全てを捧げても返すに返せないって思った――――っ」

「俺はそんなつもりで、お前を愛してたわけじゃない。俺はただお前に愛されたかった。それだけなのに……」
「うん、知ってる。貴方はそれだけなんだよね。そう、ドラマで言うなら愛されるより愛したいみたいな台詞が合ってるのかな。もちろん私は貴方のこと好きよ。でも、貴方が私を愛してくれるほど私には貴方を愛せない。
 ……それが怖いの。借金が増えてくみたいで。貰うだけ貰って逃げるみたいなそんな真似はしたくないから、余計怖いのよっ!」

 彼女は涙を隠すように手で顔を覆い、泣き叫んだ。
 通る人影のない、海辺の夏。俺は彼女を、泣かせた。

 だから今度は泣かせないように、俺は彼女を守らなきゃいけない。

 俺はそっと、彼女を抱き締めた。胸の中で呻き声が振動に変わる。できるだけ優しく、俺はそのまま彼女を抱き続けた。

「じゃあ愛してくれ。俺の本気の愛に応えられるぐらい、俺を愛してくれ。今すぐとは言わない。ゆっくりでいい。
 夏はまだ長いし、来年だって再来年だってある。巡る四季の中で、お前が少しずつでも俺を愛してくれるようになってくれればいい。それ以外には何もいらない。料理も出来なくていい。金だって俺が稼いでやる。ただ、――」

 俺を愛して欲しい。その子供のような純粋な願いだけが、俺の望みだった。

「私に、出来るかな?」
「出来る。難しいことじゃない。俺も愛されるように、頑張るから。お前も俺を愛したいと思ってくれ。そしたらいつか、二人は本気で愛し合える」

 サーファーは最初は小さな波を。
 練習を積み重ね、次第に大きな波をこなしていけば、いつか津波だって乗りこなせる。愛するというのはそういうことだと思う。焦る必要はない。じっくり、波に慣れていけばいい。少なくとも、俺はそう思う。

「それで、その時は――――」

 人の影の消えた海風が日焼けした頬を優しく撫でた。風は彼女のショートの髪を軽く揺らした。俺は乱された髪を直すように、それを撫でた。





「――――本気愛し合えたその時は、結婚しよう」
「うん」








 波は静かに押しては引いた。それでも夏はまだ続いていた。










Still / Stopped / Summer. END

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