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MISTY CASTLE -オリジナル 道化る人々-  事は部長である山辺圭吾の突拍子もない一言から始まった。

「ゲームをしよう」

 部室の端に位置するやや脚の曲がった明らかにぐらつきそうな椅子に腰を掛けて、
窓辺から射し込む夕刻の陽光を背中に浴びながら部員たちに提案する。

「ゲーム?」

 帰り支度をしていた部員たちがそれに呼応するようにそれぞれ山辺に問いかける。

「題して『存続の危機!? 消えた部費を追え!!』だ!」

 一同は暫しの沈黙を置いた後、我関せずと言わんばかりに身支度を再開した。

「おいおい、オレは決して面白半分で提案しているわけじゃないぞ?」

 山辺は部員の中の一人、 取り分け仲の良い副部長を務める倉澤信二の所へ歩み寄り真後ろからそっと左肩に手をやると、
狩猟に出た若者が初めて獲物を捕まえたような歓喜の表情を浮かべた。
その表情を見た部員たちの幾らかは悪寒がして自分は事態に巻き込まれまいとそそくさと部室を後にしようとする。
しかし窓から室内に注がれた光が部室のドアに落とした山辺の影がまるで地獄の門番のように部員たちを圧し、
その行為を激しく拒んでいた。無論それは彼らが抱いた幻想に他ならないのだが、
見事その世界に捕らわれてしまった者たちは余りの恐ろしさに慄きその場に立ち竦んでしまうほどだった。

「悪いけど部費に関してだったら会計に頼んでくれ」

 その輪から逸脱していた倉澤は身支度を終えると左肩に荷物を担ぎ、
山辺の右側をすり抜けて黒い魔物の待つ場所へと向かう。
その歩みによってドアの前で構えていた門番は姿を消し、一人の若者の姿だけが映るようになった。
それに伴い他の者たちが抱いていた恐怖心も薄らいでいき、各々は我先にとドアに向かって駆け出す。
もはや彼らにとって怯えはなくそれは先ほどまで重く閉ざされていたとは思えないほど容易に開いた。
電車に駆け込み乗車する人のように彼らは勢い良く外へ出ると、
早々に倉澤たちの視界が届かない所へと消えていき、終ぞ彼らが戻ってくることはなかった。
あっという間に部室内には自分を含めて数名となってしまったことに倉澤はやや呆れ顔を浮かべる。
けれども、彼は自分もその仲間になることを望んだ。

「それじゃあうちらも行こうか」

 倉澤は隣に付き添っている星村雫に声を掛ける。
彼女は部内において副部長補佐という一風変わった役職にある。
いや、誰もそのような役職があるということは認知していないが、 彼女自身は自分でそう思っていた。
 星村は倉澤の言葉に対してコクンと頷くと山辺を一瞥した後、 倉澤の背中を追って姿を消した。

「薄情者〜〜!」

しかし当然返事はなく山辺の声だけが虚しく室内に反響する。
山辺は自分以外に誰もいなくなった部室の中を見渡し先ほどまで座っていた椅子を発見すると、
落ち着いて今後の展望について思慮するために再度その場に腰を下ろした。
彼を中心とした静寂な世界が構築され、時たま彼の耳には自然の、風に揺れる木々たちの声や、
或いは、椅子を傾かせた時に発せられるぎいぎいという音、はたまた椅子の脚を地面に叩きつけた時に出る音などが届く。
 刹那、山辺の目に映る世界がぐらっと揺らいだ。
それは地震などという周囲の世界までもを震撼させるほど大層なモノではなく、
極々小さな、一人の男を中心として襲ったものだった。
 幾度となく脚を打ち付けている間に椅子の脚が限界を越えてしまい、
結果として山辺は身体の前面から地に伏せることとなった。

「皆の薄情者・・・」

 それは今までにはない心の奥底からの、悲痛の叫びとも取れるものだった。
山辺は部に所属してから、取り分け部長という役職に就いてから数々の苦難の道を歩んできたが、
今回の仕打ちは流石に応えたようで、一言呟いたかと思うと項垂れたまま完全に黙してしまう。

「あれっ、皆帰っちゃったの・・・?」

 一人の少女の声が山辺の耳に届いた。顔を見る前からそれが誰であるかを彼は悟った。
部の会計を担当している菱山那美である。全ての事の発端は彼女に起因している。
 山辺の提案は決して冗談ではない。
部費は予め部長である山辺が何故徴収するのかという説明責任を果たした上で部員から徴収し、
会計の菱山によって大切に保管されていた。されていた筈だった。
彼女は他と比べて明らかに管理能力が勝っており、つい先日山辺はそれに目をつけて彼女を新たな会計へと推薦した。
その案に誰も反対する者はおらず、菱山自体も満更でもないようで、照れくさそうに笑いながらも会計へと就任した。
 実のところ、菱山は過去に重大な役目を任された経験など全くと言って良いほどなかった。
それは間違っても菱山に対して周囲が信頼を置いていなかったというわけではなく、
ただ単に周囲の者が挙って役職に就くことを志願したからである。
当時から彼女は自分の能力に若干分自信を抱いていたが、
志望者がいるものを無理に引き受ける必要もなかろうとこれまでは大人しく他人に譲り、平という立場を楽しんでいた。
ただし彼女の心中には、自分の才能は思っているほど回りには認められていないのではないか、
という不信感が徐々にではあるが確実に募っていった。
だからこそ、今回の就任は菱山にとって非常に大きな意味を持っていた。
実際は自分の才能は周りにも認められているのだということを彼女は理解し、
それと共に自分の揺らいでいた心にも支えが入り心底安心感を得ることができた。

「部費のことを話してくれなかったの?」
「どうやら俺の言うことじゃあ冗談で言っているとしか思われないらしい」
「そんな! どうしよう・・・」

 会計という財務に関する責任者というプレッシャーが彼女自身に襲い掛かる。
部費という名目で回収されたのはもはや変え難い事実であり、
その圧力から逃れる術など彼女は持ち合わせていなかった。
うっすらとだが菱山の瞳が潤み、続いて現れたのは一線の滝にも似た涙であった。
それは頬を伝わり顎の辺りまで来るや否や地上へと落下して、コンクリートの床に黒い水滴の跡を残す。
 菱山は一向に泣き止む気配を見せず、山辺もほとほと困り果てていた。
何とかして事態を打開しなければ。頭では分かっているものの身体が言うことを聞かない。

「何か辛気臭いオーラが漂ってるわねぇ」

 何時の間にか山辺の影の先には一人の女生徒が立っていた。
彼女はつかつかと部室内へ、山辺の近くへと歩み寄ってくる。

「―――で、あの娘、泣いちゃってるけど今回は一体何をやらかしたわけ?」

 地に伏せたままの山辺を半ば侮蔑の眼差しで見つめながら彼女は問いかけた。
 山辺はやっとの思いで立ち上がるとその瞳に相手の姿を捉える。

「白銀か。何、緊急事態に部員たちが揃って逃げ出したものだから、 彼らの部活動に懸ける思いはその程度なのかと苦慮していたところさ」
「緊急事態!? 何があったのよ!!」

 山辺の声に呼応して白銀梓は勢いで山辺の制服の襟元を掴みあげる。

「実は―――」

 言い掛けたが白銀の背中越しに菱山の存在が眼に入り、山辺は口を噤むと同時に顔を横へと背けた。

「実は、何よ?」

 白銀はふて腐れた表情を浮かべながら山辺の身体を上下左右へ揺さぶる。
山辺はその間もどうやって説明したら良いものかと思慮していた。

「部費。・・・無くしちゃったんです」

 その言葉は予想だにしない、二人から若干離れた所にいる少女の元から突如として放たれた。
それは泣きながらということもあってかやや掠れ声で、今にも消え入りそうな、
しかし要点だけは的確に押さえており、相手に事態を理解させるには十分過ぎるものだった。

「部費を無くした!? あなたねぇ! 冗談も大概にしなさいよ!」

 白銀は山辺の襟元を掴んでいた手を放し菱山の元へ詰め寄る。

「確か部費はあなたが管理しているんだったわね」

 白銀を前にした菱山はまるで蛇に睨まれた蛙であるかのように震え上がり、その恐怖心でより一層滴る液体は勢いを増す。

「まあいいわ。取り敢えずは逃げた奴等を呼び集めましょう」

 起こってしまった事を、これ以上菱山を責め続けても事態が打開できるわけではない。
白銀は意を決して部室を後にした。
 白銀は部の中で随一の行動派で、誰もが意思決定に悩んでいる際に開口一番、そして実行へと展開する、
そんな部員たちから一目置かれた存在であり、その活躍振りはもはや部長である山辺を遥かに凌駕し、
部を実際に切り盛りしているのは、つまり影から操っているのは彼女であると実しやかに囁かれているほどであった。
実際彼女は部長補佐という役職に位置しているため噂が強ち間違っているとも言えない状態で、
最近は白銀自身も自分が部長だと言い張っている始末である。
そんな相手だからこそ山辺は自らが名実ともに部長の器に相応しいことを皆に知らしめておく必要があるのだが、
白銀の存在感がうまいこと邪魔をして中々自分を売り込むことができず、
今回までも白銀に先を越されてしまう結果となった。

 残された二人は白銀がどこへ、一体何をしにいったのかを、耳にせずとも悟っていた。
やがて二人が思い描いていたものが、しっかりとした形となって彼らの前に提示される。

「緊急招集!!―――――」

 倉澤と星村の両名は放課後のすっかりと人気の無くなった廊下をまるでバージンロードでも歩くかのように肩を並べてゆったりと歩いていた。
窓から差し込んでくる夕日が星村の頬を赤く染め上げ、それが彼女をより可愛らしく彩っている。
コツコツと奏でられる二人の足音だけがこの世界においては全てであり、その中に割っているモノは存在しなかった。しないはずだった。
 倉澤はピタリと足を止めた。星村も続く。
 突如として彼らの身にシャワーのように浴びせかかったそれは、
彼らにとって厄介モノとしか言いようがないほどはた迷惑なモノだった。
 その存在は彼らに一喝すると、何者かに止められたらしく喚き声を上げながら、
それでも制止を振り切ったようで、再度喝を入れ直した。
仕舞いには誰かが勢い良く水を流し続ける蛇口を、元を断ち、倉澤たちの世界はすっかり静寂を取り戻す。
 キーンとした耳鳴りが若干残り、しかしやがては消えていき、次第に互いの息遣いだけが聞き取れるようになった。
 二人は顔を見合わせる。星村は倉澤が下す決断を声を出さずに、今か今かと待っている。
何故山辺があのような提案をしたのか。何故放送が流されたのか。何故自分たちがここにいるのか。
倉澤の頭の中を色々な考えが駆け巡る。
 ふと項垂れた山辺の姿が脳裏に映る。
瞼を閉じて思いを払拭しようと心の中で首を左右に振るが、山辺は失せる気配を一向に見せず、
それどころか振り解かれてなるものかとばかりにより一層しつこいまでにしがみ付いてきた。
ほとほと疲れ果ててしまいいつしか無抵抗になった倉澤は気がつけばまるで彼に誘われるかのようにある場所へと歩を進めていた。
そうして漸く目的地の半ばまで来た時、倉澤たちの脇を1つの、数人ほどの集団が通り過ぎて行った。
明らかに生徒とは異なる身形をしている彼らは酷く慌てた様子で、脇目も振らずただ一心にとある方向へと駆けて行く。
それが教師の一団であると認識した刹那、最初は落ち着いていた倉澤の歩調も彼らの後を追い駆けるかの如く次第に駆け足へと変わっていった。
 部室に辿り着いた倉澤の目に映ったのは今にも教師に食って掛かりそうな白銀と懸命にその間に割って入る山辺の姿だった。
菱村はそう指示されたのか、或いは自分の意思によるものか、被害の及ばない場所で怯えながら、しかし固唾を呑んで見守っている。
 考える間も置かずに倉澤はその世界へ飛び込んでいく。

「何よ! こっちは学費を払って通ってるんだから、多少は大目に見てくれてもいいじゃない!!」

 白銀は物凄い剣幕で教師に向かって吼える。
その様相は抑えに入っている山辺や倉澤すらも怯んでしまうほどの迫力を持ち、
教師すらも思わず後退りしてしまうような威光を放っていた。

「そう言われてもね。こちらも立場上、あまり校内放送を私用化されては困るのだよ」

 一人の男が教師の集団から何とか一歩前へと踏み出し、おずおずと、しかしあくまで自分の立場を前面へと打ち出して、白銀を諭す。
だが他の教師はそれを静観しているだけで、うんともすんとも言う気配がない。

「けれど先生、今回は部の一大事だったんです」

 白銀は言い返したい思いで一杯で、今にも溢れ出さんばかりの所を何とか抑えこもうと必死に唇を噛んだ。

  「兎に角、勝手な私的利用は金輪際勘弁してくれよ」

 白銀の気迫に圧されたのか、教師の一団はそれだけ言うと足並みを揃えて部室からぞろぞろと去っていった。
その直ぐ後に一団と擦れ違う形でやってきたのだろうか、星村が部屋の入り口からひょっこりと顔を出して中の様子を窺い、
事態が一応の終結を見ているのを悟ると、足を踏み入れてきた。
倉澤はそれを見て今更ながらに自分は星村を置いてきたのだということを理解した。
 星村は部屋の片隅にある机に腰掛けている倉澤を見つけると、皆の注目を一身に浴びながら彼の元へと駆けていく。
そうして集まった彼らだったが暫くの間誰も会話の場を持とうという意志を見せなかった。
 長である山辺は部屋の入り口と向かい合うように壁に凭れ掛かり人の気配を窺っている。
しかしながら人っ子一人通る気配はない。
だが山辺はまるきり落胆などしている様子はなく、 けれどもただ頻りに今にも人が出入りするかもしれないその一点だけを見つめていた。
 菱村はそのやや右隣で荷物が山積みされた机を前にごそごそと何かを探している様子で、
稀に溜め息を付いては、ないなぁ、などとぼやいている。
 各々が自由に行動していて、そこに纏まりというものは見られない。

 「結局集まったのはこれだけ?」

 その団結力の無さに先ほどのことも重なってか白銀は不機嫌な顔つきをしながら皆の顔を眺める。
彼女の行いは虚しくも結果として二人の者を呼び戻すに止まった。
しかしその事実を知らない者、つまり白銀と菱村の現在の状況への態度は余りにも対照的で、
白銀は自分の努力が大して実らなかったことに些か憤怒しており、冗談にも穏やかな顔をしているとは言い難く、
一方菱村は藁をも掴むような思いなのだろうか、先程から部室にいる皆に握手をしながら御礼を言って回っていた。
その顔に既に涙はなく、彼女らしい明るい笑顔を振り撒いていた。
だが、流石に彼女も白銀に対しては近寄りにくいオーラを感じたようでお辞儀をするという云わば日本流の挨拶で事を成していた。
山辺は特別扱いとも取れるその行いが白銀の癪に障らないかどうか危惧したが、
とんだ思い過ごしだったことに気づくと同時に言葉を返した。

 「仕方がないだろう。時間が時間だし、何よりも大半の人が逃げた後だったんだから」

 山辺が欲を言うなと白銀を諭す。白銀はその指摘にやや頬を膨らませ更に不快感を露にするが、声には出さなかった。
 下校時刻も間近に迫り、もはや学校に残っている者など限られていた。
既に遠い空には闇の衣が被さりつつあり、まだ自分たちがいる微かに朱色を残す世界との中間、
分断された二つの世界の狭間では闇と光が交じり合って夕闇の世界を美しく彩っている。
更に遠い彼方では幾らかの星たちが自分の存在をアピールするかのようにキラキラと輝きを放つ。

「今日はもう時間がないな」

 ケータイの背面ディスプレイを点灯させて時間を確認しながら倉澤がポツリと呟く。下校時刻まであと10分だと彼は告げた。
  それを知って部室にいるものは今更になり教師に小言を言われなかったことを可笑しく思ったが、 誰一人として口にすることはなかった。

「―――で、集まったにはいいけれど、こんな時間から一体何をするんだい?」

 倉澤はさも面倒臭そうに部長に声を掛ける。
本来ならばとうの昔に学校を出て、帰路につき自宅へ、若しくはどこかに寄り道して、例えば本屋に立ち寄って、
勤勉青年らしく新しい学術書などでも漁っていたに違いない。
それらの有り触れた未来が浮かんでは幻想だと知る。
しかし倉澤は自分が部室にいるのだということを認めたくはなかった。
少なくとも自分は先ほど此処を後にした身であり、事態に巻き込まれる権利はあって、だけれども義務ではない。
それを改めて思い知った時、倉澤は自らの軽率な行動に後悔の念を抱いたが、やがてはその思いも消え失せる。

「一先ず明日部会を開く。けど、兎に角その前にここにいる者たちだけでも事態を把握しておこう」

 山辺は意を決した面持ちで、しかしながらそこには明らかに戸惑いの色も混じっており、
どうやら周囲の了解を得た上で事を成したいらしく一人一人の顔を見ては同意を求めている。
そうして漸く全員の了解を取れた所で彼は話を続けた。

「まずはオレから皆に謝らなければいけない。実は皆から預かっていた大切な部費を無くしてしまったんだ」

 山辺は多少なりとも批判の声が上がることを覚悟していたが煽りの一言すら掛けられることはなかった。
菱村はその様子に若干困惑の表情を見せる。
しかし誰もそれを気に留めようとはせず、ただひたすら山辺の言葉に耳を傾けている。

「何故だか分からないが部費は忽然と姿を消してしまった。いっそのこと先生にこの事を告げて、
 このまま指を銜えて事態の収拾を待つという手もある。 けれど、オレはそれが得策だとは到底思えない」
「確かに、どうせ先生に任せた所で表面上印刷物か何かを用意して校内の人が周知の問題事にはなるだろうけど、
 所詮それまでであって、結果としては犯人が特定できない上に私たちの管理ミスで片付けられちゃうのよね」

 白銀はゆっくりと目を瞑り自分が口にした状況をできる限りはっきりとした形で頭に思い描く。
刹那余りにもそれが現実味を帯びていて考えることが途中で嫌になり彼女は目を開くと続いて天を仰いだ。
他の者たちもそれと並べて落胆の溜め息を漏らす。
 実際彼らは過去に数え切れないほどその光景を目の当たりにしてきた。
無論時には犯人が捕まることもある。
だがそれは極々稀の事に過ぎず、大概は白銀が述べた通りの結果となってその物語は敢え無く幕を閉じる。
それが常であって、否定の声を上げるものはない。

「だからこそ今回はあくまでも自分たちが主となって動くことにする。このことに関して誰か異論のある者はいるかい?」

 山辺は言葉を切る。そうして僅かに間を置いた。誰からの返答もない。
念のため山辺は各々に視線を向けて確認をする。その時倉澤が口を開いた。

「質問なんだけど、その肝心の部費は本来どこに置いてあったんだい?」

 菱村はその質問が一瞬誰に投げ掛けられたモノか掴むことができずのほほんと場の状況を見守っていたが、
倉澤の真剣な眼差しの矛先が自分に向いていたと知るや、恥かしさを惑わす為に軽く苦笑いを浮かべた。
それから彼女は背を向けて前方の、本やら誰かの私物に違いないガラクタが形成している山の一角を指差す。

「無くしたって部室内に置いておいて無くしたのか!?」

 倉澤の問い掛けに菱村は無言で頷く。流石に倉澤もその返答には少しばかり呆れ顔を浮かべる。

「これくらいの箱に入れておいたんだけどね」

 菱村は両手で長方形の箱のような物体を空中に描き出す。
彼女のジェスチャーからその箱は金銭を保管しておくには十分過ぎるほどの大きさを持っていることが分かる。

「鍵とかはつけてなかったのか?」
「そんな。しっかりと付いてるよ」

 スカートのポケットから財布に仕舞われていた鍵の束を取り出すと、
リングに括り付けられた大なり小なりの鍵たちの中から、目当ての鍵を探し出してそれを皆に見せる。
菱村はそれが箱専用の鍵であることを告げた。

「そうか。となるとやっぱりこの前の大掃除の時が怪しいな」

 確信を持ったように倉澤が言った。それから彼はこう付け加えた。

「鍵を掛けた状態だったなら、誰かが怪しいと判断して捨ててしまっても可笑しくはないだろうし」

 捨てられたという重たい一言が口から出た時、倉澤は自分の発言を訂正したい思いに駆られたが、時は既に遅かった。
―――怪しいと判断して捨ててしまっても。
―――間違って捨てられてしまっても。
―――捨てられてしまっても。
―――捨てられた。
 言葉は菱村の心に矢のように突き刺さる。
どんよりとした空気が部室内に充満し誰もがその息苦しさを身をもって感じていた。
倉澤は自分の演じた醜態に苛まれ半ば茫然自失の状態にあって、やっとの思いで地に足をつけて立っていた。
刹那そんな状況下において一人の者が倉澤の袖をグイグイと引っ張った。星村である。

「私、その箱知ってる・・・かも」
「本当か!?」

 星村の口からポツリと漏れた一言に一同が驚愕の声を上げる。彼女は無言のまま頷いた。

「どこにあるんだ!」

 山辺は、まるで事件の容疑者を刑事が尋問するかの如く星村に詰め寄る。
しかし彼女はその言い方に完全に怯んでしまい、倉澤の背中へと隠れてしまう。
非難の視線が山辺を輪の中心にして各所から向けられた。
黙っていろという命令がその中に含まれているのを彼はどことなく悟った。

「それで、箱について知っている限りを教えてほしいんだけど」

 倉澤は星村の方へ向き直り尋ねる。
そこには誰かのような威圧感はない。

「多分私が持ってる箱のこと・・・かも」

 そう言って彼女は自分の鞄の中から1つの箱を取り出す。
確かにその箱は菱村に聞いたほどの大きさを持っており鍵穴も存在する。

「あっ、それ・・・」

 菱村はそれを見るなり飛び付いて半ば強引に受け取ると早速と言わんばかりに鍵を宛がう。
誰もが固唾を呑んでその光景を見守っていた。そこに、カチッという音が鳴る。開いた。
その時点で歓喜の声を上げる者もいた。
山辺は各々に対して「やったな、やったんだな」と声を掛けている。
 だが他の者は冷静だった。
しかしそれは表面上だけで、内心では皆同じ思いを共有していて今直ぐにでも彼と同じように騒ぎ出したい気持ちに駆られていた。
 菱村はゆっくりと願いを込めて蓋を開ける。
そしてその直後、次々と声が上がり始める。
そんな中山辺の次に声を上げたのは他ならぬ蓋を開けた菱村自身だった。
彼女は感動の対面に頬擦りするなり涙するなり自由に感情を表現していた。
部室内は宴会騒ぎに似た雰囲気が漂い、
それを嗅ぎ付けた教師が場に駆け付けて権力を持って一喝することで彼らが演じた物語は幕を閉じた。
 ゆっくりと時間を掛けて空に形成された輝かしい合唱団は、
落ち着きを取り戻したその世界にお休みのコーラスを奏で始めた。

 事の真相はつまりこういうことだ。
大掃除当日部長、副部長、会計の3名は会議に招集されていて一時的に部員たちに任せきりにしていた時があった。
その際たまたま星村が蔵書に埋もれていた、
しかし大事そうに鍵によって封印された箱を発見し部長から場の指揮を任せられていた部員に如何様に扱うか指示を仰いだ。
任せろと言う一言に彼女は安心してモノを託したのだが、
少し経ってからゴミ置き場と称された場所にそれを見つけると、妙な違和感を覚えた彼女は再び手に取り蓋を開けようと試みた。
だが開く気配は無い。案の定鍵は掛かったままだった。
つまり中身を確認せずに一方的に捨てられたということになる。
 部は絶壁寸前、最後の一歩手前で星村の機転によって救われた。
しかし彼女はこの真実を誰にも、勿論いつも伴侶のようにくっ付いている倉澤に対しても語ろうとはせず、
それとともに捨てたであろう人を責めることもしなかった。
山辺たちも聞いても無駄と悟ったようで無理に星村を問い詰めたりはしなかった。
 そして事件翌日、部室内はまるで昨日のことが夢物語であったかのように平穏な世界を保っている。
多くの者は昨日も今日と同様の問題のない日であったと思い込んでおり、
またそのため山辺の発言は単なる狂言としか見なされていない。
 真相は闇へと葬りさられ今日という日がだひたすらに流れていった。


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